会計士を目指すきっかけになった、浪人期の出来事の話

すやきのつらい原体験

すやきです。

会計士試験合格を目指していた頃、いや、その時に限らず今も、道を踏み外しそうになった時、いつも思い出すようにしている話です。

あの日、京大の合格者掲示板に、僕の受験番号など、あるはずもなく

2016年の3月上旬。一年の浪人を経て、満を持して望んだ京大受験。

雪の舞う三月の西の都。午前11:55。京都大学総合人間学部の合格者発表掲示板の目の前に、僕はいました。

午後12:00、一斉に開かれた合格者掲示板で、誰よりも先に、誰よりも間近に、僕は自分の不合格を確認することとなります。

その日の出来事は、それからの生活のターニングポイントになりました。

名古屋で過ごした浪人生活の話

経営再建を行った直後、小さくなった名古屋駅前の代々木ゼミナールで、僕の浪人生活がはじまりました。

いまなお勢いのある駿台や河合塾と違い、人員削減と規模縮小を行った代ゼミには、かつての勢いはなかった気がします。

僕は、京大受験生という謎のステータスを掲げ、代ゼミという井戸の中で、大海を見ることなく終わる蛙となりました。

周りに同じ志望校の同期はいなかったので、そのうち周りからもてはやされるようになり、嘘の実力にかまけて天狗になっていました。

今となっては笑い話ですが、でっち上げの実力で嘯いたことを飄々と話していた自分について、振り返ろうにも恥ずかしくて目を背けたいのが本音です。

しかし、元々人なつっこい性格でしょうか。幸いなことに、しょうもなかった自分と友達になってくれて、近くにいてくれる人たちはいてくれました。

勉強漬けの6年間の中高男子校生活から開放され、これでもかというくらい遊び呆けました。JKと岩盤浴に行き、授業をさぼって草野球をし、予備校に荷物を置いて中村区を一日中散歩してみたり。

背後からやってくる「勉強をしなきゃ」という焦りから逃げるように、名古屋を走り回った、窮屈だけど自由な日々は、会計士試験合格という大きなイベントを跨いで、今へとつながっています。

「専門知識がものを言う」考えを確信した出来事

大学受験の時、僕は文系選択でした。得意科目は数学。高校2年のときに「大学への数学(東京出版)」を紹介されて、寝食忘れるくらいに没頭したのが文系数学でした。

京大をずっと志願していましたが、京大模試の成績の内訳というと、数学の偏差値だけ75、他は全部50以下。馬鹿なので、それでいいんだ、そんなもんだと思っていました。

結局、本番の京大入試では失敗することになりましたが、「数学を教えてくれ」と言って近寄ってきてくれる人がいたことや、「数学好きな、ちょっと変わった点の取り方をする受験生がいる」と講師間で話題になったことで、いろんなご縁に恵まれることができました。

英語国語数学理科。なんでもできるオールラウンダーより、一科目で突き抜けられる飛び道具を備えている人って、なんとなく魅力的じゃないでしょうか。

底抜けの馬鹿なので、いまでもそのロマンを追いかけています。会計の専門知識を身に付けようと思って会計士試験を目指したのもこの話が少しは関わったのかもしれないですね。

浪人時代の最後、出町柳の駅前で気づいたこと

最初の話に戻ります。

前期京大入試のあと、合格発表の日。僕は、名古屋からバスに乗って京大の合格掲示板を見に行くことにしました。泣いても笑っても、自分の目で運命の行方を確かめようと思ったのです。

不合格を知って、帰路の駅につく間のことはあまり覚えていません。心配して駆けつけてくれた京大の先輩を無視し、胴上げされる合格者の間をすり抜けて逃げ帰りました。

出町柳という京都の駅に着き、落胆して階段を降りようとした時。これは、走馬灯と表現するのでしょうか。

240px-叡電出町柳駅

しょうもない自分に、一ミリでも期待してくれた少数の人たちがいたことに気付き、一度に彼らの表情が思い出されました。

高校2年のときからお世話になっていた美人の担任の女性との、合格後のご飯の約束とか。

早稲田受験の前日に、月島でもんじゃ食って夜まで一緒に遊び呆けたあいつとか。

そして、

京大入試の合格発表の1分前に「大丈夫か」とLINEしてくれた、不遇真っ只中にいたはずのあいつとか。

僕の1年間の挑戦(?)は、あっけない形で幕を閉じました。

しかしこれで終わりでしょうか?

その後、公認会計士試験合格を目指すようになりました。

その試験にpassする大学4年の終わりまで。

期待を裏切ったことの呪縛から開放されることは、一度もありませんでした。

渋谷から東急東横線で20分くらいの、神奈川県の日吉という田舎の街に住んでいました。会計士試験にてこずっていた時期を過ごしていた渋谷や自由が丘や武蔵小杉や日吉。当時は、悶々としていたのであまりいい思い出はありませんね。

ただ、久々にそのエリアを今になって訪れると、当時のことが笑い話になって、景色が変わっていく感覚が好きです。

ところで。

僕は綺麗事が好きじゃないので、冷めたことを言うようですが、社会貢献という言葉があまり好きではありません。

社会貢献というと、会ったことのない不特定多数の人々を幸せにする、役に立つ行動をするというイメージがあります。

これまでの話をふまえて。

改めて、社会貢献をしたいと思ったことは一ミリもありません。

ただ、「数学を教えて」と言ってくれて僕に時間を割いてくれた人とか、しょーもない自分の相談にのってくれた人とか。

ひいては、一瞬でも僕の方向をみてくれた人たちの中の記憶から、忘れ去られていく過去の人間にだけはなりたくないなと思いました。

それが、浪人期の最後に出町柳で気づいたこと。

繰り返しですが、僕は不特定多数の人に社会貢献をする気は毛頭ありません。そんな大きな器にはなれそうにもない。

ただ、なにかしら恩返しというかたちで、自分の、ほんの近くにいてくれる人にとってスパイスを与えられるような、そんな人にはなりたいな。そう思います。

もしくは、いつか再会した時、こいつに投資してよかったなと、誇りに思ってくれるような人を目指したいです。

それが、凄まじくアバウトで、ぼんやりとした、20代の目標です。

まだまだこれからなのだ!

最後まで読んでいただきありがとうございます。

公認会計士受験生のみなさん、来月の論文式試験、頑張ってください!

ほなー!!

♪絢香【キミへ】

suyaki

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1996年愛知県小牧市生まれ。24歳。 私立東海中高、慶應義塾商学部卒業。 公認会計士準会員・フロントエンドエンジニア。 受験期の生々しい体験談を記事にして...

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